ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の怪談、「耳なし芳一」を知っていますか?
源平合戦の最後の地・壇ノ浦の戦いで入水した、幼い安徳天皇を祀っている赤間神宮は、源平合戦で敗れた平家一門を祀る塚があることでも有名です。
そして赤間神宮は、怪談「耳なし芳一」の舞台でもあります。小さい頃に聞いた「耳なし芳一」の話は子ども心にもとても怖く、まさに背筋が凍る思いでした。
今回は「耳なし芳一」のお話と、「耳なし芳一」にゆかりのあるお堂と行事をご紹介します。

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耳なし芳一の舞台になった赤間神宮についてはこちらの記事をどうぞ
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怪談・耳なし芳一のあらすじ

平家一門が祀られている赤間神宮が、まだ阿弥陀寺と呼ばれていたころの話。
お寺に芳一という盲目のお坊さんがおりました。
芳一は師匠を凌ぐほどの琵琶の名手で、とくに「平家物語」の壇ノ浦の合戦の弾き語りは真に迫ったものがあり、聴く人の心をとらえて離さないほどでした。

ある夏の日の夜、身分の高い方からの使者がやってきて、琵琶の演奏を聞きたいとの申し出があり、芳一は使者について大きな屋敷に向かいました。
芳一がそこで要望に応じて壇ノ浦の合戦を一心に弾き語ったところ、大勢の人々のむせび泣く声が聞こえてきました。
弾き終わると女の人の声がして、「今晩から3日間ここで弾き語りってほしい。このことは誰にも内緒にするように」と言われたのでした。

朝になりお寺に戻った芳一。夜中いなかったことの理由を和尚さんに問われても、約束通り何も答えませんでした。
不審に思った和尚さん、お寺の坊さんに夜中こっそりとでかける芳一の後をつけさせます。すると、安徳天皇のお墓の前で一心不乱に琵琶をかき鳴らす芳一の姿を見つけたのでした。

(赤間神宮内、安徳天皇陵)

平家の亡霊にとりつかれていることを知った和尚さん。これは一大事と、芳一の身体中に経文を書き、何があってもけっして声を出してはならないと告げました。
その夜平家の亡霊が芳一を迎えにやってきましたが、芳一は声を出しませんでした。亡霊には経文が書かれている芳一の姿が見えません・・・しかし、和尚さんが耳にだけお経を書き忘れていたので、亡霊には芳一の両耳が浮いているのが見えました。
仕方ない、こうなったらこの耳だけでも連れていこう、と亡霊は芳一の耳をもぎ取ってしまったのでした・・・。(日本むかし話参照)

この「耳なし芳一」のお話、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

赤間神宮、芳一にゆかりの見どころ

芳一堂

赤間神宮の境内、宝物殿の奥には、「芳一堂」があります。
昭和32年に防府市出身の彫刻家・押田政夫氏による芳一像が、舞台となった赤間神宮に祀られたものです。押田氏は山口県芸術奨励賞を受賞したこともある彫刻家です。
芳一堂は小さなお堂ですが、怪談で知られていることもあり、赤間神宮の中でも人気のスポットです。

小さい頃恐れおののいた耳なし芳一のお話。
芳一の像がとってもリアルで、しかも芳一堂から平家物語が流れていて、怖さが倍増(笑)じっくり見るのがこわくて、写真撮るのも躊躇しました・・・。

耳を引きちぎられた芳一でしたが、その後平家の亡霊に取りつかれることもなく、琵琶の名手として何不自由なく暮らしたとのこと。
その結末を知って、ほっと安心したのでした。

耳なし芳一まつり

赤間神宮では昭和30年から毎年7月15日の夜に、芳一を弔う「耳なし芳一まつり」が行われています。
まさに芳一が平家の亡霊に取りつかれた夏の夜に行われるおまつりです。

まつりでは、芳一堂と平家一門のお墓である七盛塚の前などで墓前祭りや琵琶の演奏が行われます。
まつりの祭典は赤間神宮本殿内で行われますが、第2部については竜宮殿内で行われ、有料となっているそうです(予定とのこと、山口県観光連盟サイトより)。

耳なし芳一まつり
毎年7月15日 18:00~
赤間神宮境内にて

赤間神宮・芳一堂の施設情報

下関市阿弥陀寺町4-1  TEL: 083-231-4138
駐車場 40~50台無料(赤間神宮国道挟んで向かい側にあり)

交通アクセス

【公共交通機関】
JR下関駅からバスの場合
JR下関駅から長府・小月方面行きサンデンバス(1番乗り場)乗車約10分→「赤間神宮前」下車徒歩すぐ
【車】中国道下関ICから約13分

まとめ

今回は赤間神宮を舞台にした「耳なし芳一」と芳一にまつわるお堂、行事についてご紹介しました。
平家の無念の思いがひしひしと感じられる耳なし芳一のお話は、入水した安徳天皇と平家一門をお祀りする赤間神宮ならではのお話です。
下関に来られた際は、ぜひ赤間神宮へ、そして芳一堂へお越しくださいませ。